2014年2月27日木曜日

声は砂埃のように ~第31回フェブラリーステークスにまつわるお話~


G1レースとは言っても、位置取りとそれなりのカメラがあれば、パドックで写真を撮るのは難しいことではない。(ダービーやジャパンカップは難しいかもしれないが)
フェブラリーステークスも、上手く人混みに体を入れて絶好のポジションを確保した。

パドックに行くのは、予想云々ではなく馬・騎手たちの表情を間近で見たいからである。
力んだ馬もいれば、はたまた少し力が抜けているのもいたり。
予想で疲れた頭が少しリフレッシュされる。

騎手が跨がった馬たちが次第に地下道へ消えていく。
その時、誰かが声を発した。

田辺くん、頑張って。
僕は君を、3連単の軸にして買っているんだ。


パドックに小さな失笑が漏れた。

そんなバカな。

やがてそんな声はもう忘れたかのように、みんなそれぞれの確信と決断を持って、パドックを後にしていった。



そんなバカな。

15時50分頃になると、この言葉はパドックに居たときと全く別の意味を有するようになった。
逃げるエーシントップを追うかたちで、二番手につけるコパノリッキー。
他の馬が自らのペースを見失い苦戦する中、コパノリッキーのリズムは一定だった。
最後の直線、しぶとく粘るコパノリッキーに外からホッコータルマエが襲いかかる。
もう抜くだろう…と多くの観衆は思ったに違いない。
しかし、我々の考え以上の粘り強さを、コパノリッキーは見せつけるのであった。

単勝の倍率は270倍を超える万馬券。
最下位人気馬の堂々たる勝利レースである。

レースを終え、仲間たちと一通りの感想を述べあいながら興奮を冷ましていった。
一人の男がこう呟いた。

コパノリッキーの馬券、どんな人が買っているんだろうね?

記憶が甦り、思わず叫んでしまった。

自分、パドックでそんな人を見ました!

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話を冒頭のシチュエーションに戻す。
風貌ははっきりと確認していないが、声の主はざっくり説明すると「やや太めの中年男性」だった。
一番印象的なのはやはり「声」であり、そこには「勝負師」の力強さも、「絶体絶命」の悲壮感もそれほど無い。
7割くらいの「田辺騎手(と馬)への優しさ」と、3割くらいの「自信は無いけれど…」という弱気さで構成されていた。
ある意味では競馬場ではあまり聞く事の無い「声」である。

競馬場を後にし、反省会(という名の飲み会)に出ている最中もあの声が頭の中をリフレインする。

本当に彼はその馬券を買っていたのだろうか? 
100万円弱の馬券を手にして何を考えているんだろう? 
ああいう声の持ち主だから、実は下手こいて2着3着を切っていたのでは…?


宴も終わり、駅に着いたあたりから、とりあえず余計な詮索を止める事にした。

彼の素性が分かったからとか、馬券の中身を知ったからといって、何かを得る訳でも無い。

風に舞う砂埃の如く、彼もその声も、暗闇に覆われた府中の街のどこかに消えてしまったのだ。
今はそう考えるようにしている

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