インディーズ作家と読者を繋げるマガジンこと「月刊群雛」は、来月2日発売の2016年8月号をもって休刊することが先日発表された。
当方も月刊群雛には既刊サンプルも含めて6回参加させて頂いており、今回の知らせには驚き、そして一抹の寂しさを抱いている。また、自分自身がもっと群雛に対して貢献すべきだったのでは? という後悔の念もある。とにもかくにも、非常にショッキングな話に変わりはない。あと、「マーブルケーキ」はタイミングが合えば載せてたかもしれないんだけどなあ……
とはいえ、群雛ポータル上で説明されている①制作陣の負担増加、②売り上げ部数の低迷という休刊理由は、どちらも納得のいく説明ではある。そして、この2つは群雛特有の問題ではなく、セルフパブリッシング(及びその周辺の)業界全体で共有しなければならないものだろう。
足りなかった「作る」「売る」のサイクル
私は普段は某食品メーカーに勤めているのだが、製造業界隈では「創る、作る、売る」のサイクルを大事にすべきだとよく教えられてきた。要するに、開発(創る)→製造(作る)→販売(売る)というサイクルがしっかりと回ってこそ、製造業は成り立つという教えである。
このサイクルをセルフパブリッシングに当てはめてみるとどうだろうか?
まず、物語を創造する人は数多いる。そして、その物語をデータにする技術も簡単になってきている。「創る」と「作る」の前行程に関しては、特段現状の問題は少ない。
問題は後半部分だ。そのデータを本として作り直す資源、そしてそれを販売して消費者を生み出す力(※場所ではない)が圧倒的に足りないのだ。
「データから本へ」のプロセスには、例えば「校正」や「デザイン」という行程があるだろう。本というかたちでパッケージ化されるだけでなく、物語の質そのものの向上にも繋がる。
しかし、それらの分野はまだまだ専門性が求められているのが現状だ。表紙や諸々のデザインならば自学自習でそれなりに伸びるかもしれないが、校正はそれを取り扱う職業に出会わなければ深める術はない。今言ってもあとの祭りだが、改めて「セルフパブリッシングのための校正術」はとことん熟読し、今後の活動に繋げるしかない。
「売る」というサイクルは更に悩ましい問題となっている。
「電子書籍」という概念が認知されていない中で、更にどこの馬の骨か解らない本を買う。「売る」ために越えなければならない壁は多い。
「セルフパブリッシングの作家=セルフパブリッシング本の読者」という公式が突破口の第一段階だが、まだその動きは小さい。書くことに重点を置くからこそ、他者の作品を読む余裕が無い。何より、作者自身が、他者のどの本を読めば良いのかが解らないということもあるだろう。
かくして、「作る」と「売る」の後工程で月刊群雛は躓き、その役割に幕を降ろすことになったのである。
その一方で、「悪ドラ会」のような相互校正システムという挑戦があったり、「もの書く人々」「夏100」や「このセルパブがすごい!」といった「売る/読むための仕掛け」を生み出す流れも出てきた。
セルフパブリッシングを取り巻く人々は無力ではない。だからこそ、日本独立作家同盟の次の一手も待ち望んでいるのだ。ゴーイング・コンサーンを目的としている法人だからこそ、長期に渡って人と作品の後押しをし続けて欲しいというのが、いち正会員の切なる要望である。
「本」をつくる喜びを胸に
思えばここから始まった
最後に思い出話になってしまうが、私は月刊群雛との出会いをキッカケにセルフパブリッシングの産湯に浸かり、そしてすくすくと(細々と?)作品を育てることに成功している。
何より、子供の頃からぼんやりと抱いていた「作家になって本を出したい」という夢が群雛を通して叶えられたことにとても感謝している。
更に強調したいのは、文章をEpubに変換し、どこかのストアに設置しただけでは「作家になれた」とか「本を出した」という実感は湧かなかっただろう。月刊群雛という雑誌に参加し、文章が本になる瞬間を目の当たりにしたからこそ、この実感は得られたのである。(※なお、ここで語っている「本」はユネスコが定義しているそれや「電子書籍」を指すものではない。私自身の実感としての「本」である)
月刊群雛はお休みとなったので、私も次の巣を見つけて(あるいは自ら生み出して?)羽ばたこうと思う。そして、自分なりに作家業を一生続けていき、かつ「本になる喜び」という経験をこれからも多くの人々に伝えていきたい次第である
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