2015年4月29日水曜日

【前編】「月刊群雛」の分類とインディーズ作家の精神について

「群雛福袋説」に反論!



月刊群雛 (GunSu) 2015年 05月号 ~ インディーズ作家を応援するマガジン ~』 鷹野凌(編) 芦火屋与太郎(著) 晴海まどか(著・編) 米田淳一(著) ハル吉(著) 青海玻洞瑠鯉(著) 神楽坂らせん(著) 初瀬明生(著) 合川幸希(著) 古田靖(著) 平乃ひら(著) 幸田玲(著) Yuki TANABE(デザイン) 宮比のん(群雛ロゴ) 西野由季子(編) 竹元かつみ(編)著

インディーズ作家を応援するマガジンとしておなじみの「月刊群雛」(以下「群雛」と表記する)。
私も昨年日本独立作家同盟に参加し、11月号に初めて記事を投稿した。以来3回ほど参加している。
また、セルフパブリッシングという分野に精通されている方も多く、参加者らから受けた刺激により「ウマが逢う話」「スタジアムの言い訳」は完成されたと言ってもよいだろう。

さて、群雛のレビューや感想を読む中で、このような文言を目にする機会が多い事に気がついた。

「群雛って、福袋みたいに色々な作品が詰まっていますね!」

確かに、群雛という雑誌には「文芸」や「スポーツ」といったジャンルによるカテゴライズは無い。同盟に参加し、先着順の参加表明をくぐり抜け、期日内に入稿&編集が完了すればどんな作品でも掲載できる。良くも悪くもそんな「何でもあり」感が「群雛福袋説」の根拠となっている…

って、お前らそんな簡単に「福袋」でくくってしまっていいんかーい!!!(机ドン)





「群雛」のカラーって何だ?


群雛福袋説というのは誤った理論ではない。しかし、その説ばかりでは物足りないのも事実だ。
私が最も危惧しているのは「“福袋”という言葉で、群雛の真の魅力が隠れてしまう」ことである。

群雛の苦しさは「ジャンルが無い」こと、そして「作家を知らない(!?)のでどんな作品かが一目では予想できない」ことだ。
インディーズ作家(ないしはその肩書き)に興味がある人以外は、得体の知れない雑誌で終わってしまう可能性もある。

群雛各号の魅力を掘り下げて伝えるには…。
そう考えた私は、2つの仮説を元に調査を進めた。

1:群雛の内容を精査すれば、読むための手引となるカテゴライズが可能である
2:カテゴライズすれば、群雛の読者を増やすためのヒントが見つかるかも!?

偉そうな口調の割にはガバガバな仮説でたまげたなあ…


と言う訳で、まずは各号のポジショニングについて考察していきたい。
ポジショニングに必要な概念は「ベタとシュール」「ヘビーとライト」の二項対立としたい。


各概念の説明について


群雛の分類を考えるにあたり、まず「ジャンルによる分類」は厳しいという事を認識しなければならない。ライトノベルも有れば、ホラー、SF、中間小説…etc と、毎月掲載ジャンルの幅は広い。

そこで思い浮かぶのが、「内容の方向性による分類」だ。
方向性ならば共通項を見つけやすいし、読者諸氏にも解りやすいのではないだろうか。
そして、「ベタとシュール」「ヘビーとライト」の項目ならば各号の分布にも有意差異が発見できるかもしれない…と思った次第である。

(一応、)各項目について簡単に説明したい。
「そのまま」という意味を持つベタと、「超現実的」という意味を持つシュール。例えば「ナインティナインはベタな笑いで、よゐこはシュールな笑いである」と評されるように、ストーリーの展開をベタとシュールの2種類に分類する傾向は多々ある。
群雛の作品内にも展開に趣向をこらしたものが多いだけに、この2点で分類すれば面白い傾向が出ると思われる。

ヘビーとライトは「重い」「軽い」を意味する単語だ。
「ヘビーメタル」や「ライトノベル」という具合に、芸術分野でもこれらの概念はよく使われる。群雛の作品内でもすらすら読めるものから、一文字に深い意味合いを感じさせるものまだ幅広い。故に、この2点での分類も幅広いものになるだろう。

以上の4概念を表でまとめると、下記の通り。




さて、分類した2014年10月号から2015年4月号までについて、その理由を簡単に解説していきたいと思う。

初期の号はまだ買ってない。参加者のみなさま、お許しください!




パネルがボキャブラ天国っぽい? それは知らない番組だなあ…


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