とは言え、「心」が大事なのは選手だけでなく、監督も含まれているのではないだろうか。監督と「心」でふと思い浮かべるのは、J2に所属する横浜FCを率いた2人の指揮官だ。
2010年から2年ほど横浜FCを指揮した岸野靖之氏は、メンタルの重要性を常に説く指揮官だった。岸野氏の口癖は「負けたらあかん」。トレードマークの「赤い帽子」は氏の気合を表しているかのようだった。グラウンドでは90分間動き回れる体力と、球際の激しさを常に追求していた。
前年まで退屈な試合を繰り返していた横浜FCにとって、岸野氏のカルチャーは衝撃的だった。(相当な顰蹙を買ったが)前の所属先から大量に「引き抜いた」選手たちもチームに上手く融合し、最初のシーズンは6位という好成績で終えた。
が、翌年からは岸野氏の単調なサッカーは研究されつくされたこともあり、苦戦が続く。激しい練習とプレースタイルを求めたが故に、けが人も多数出た。11年は下から3番目でフィニッシュ。捲土重来を誓った12年も、開幕3試合で1分2敗、かつ先の見えないサッカーを繰り返してしまった。途中解任も止む無しだった。
その直後に指揮を引き継いだのはクラブOBの山口素弘氏だった。山口氏の指導者像は岸野氏とは対極だった。クレバーな戦術をチームに落とし込み、スマートかつ冷静に戦う。その一方で、フラットな目線で全ての選手を捉え、競争心を煽る。番記者のスタメン予想が殆どあてにならないチームだった。そして、スーツ姿が良く似合う。
かくして監督の雰囲気と同じ「冷静な心」を取り戻した横浜FCは、12年シーズンを4位という好成績でフィニッシュ。この年から始まったJ2プレーオフでは惜しくも敗れたが、次のシーズン以降の期待値はうなぎ上りだった。
が、またしても横浜FCの「心」は揺らいだ。補強の失敗とけが人の続出でスタートダッシュに失敗。スマートなパスサッカーが、次第にシュートを放つ度胸の無いサッカーへと受け止められるようになっていった。チームの低迷と時同じくして、サポーターのスタンド外の騒動も広く知れ渡るようになった。伝説のOBという事もあり、山口氏に対するサポーター間の求心力は衰えなかったが、クラブ全体を取り巻く雰囲気は次第にバラバラになっていた。13年、14年共に11位という平凡な順位となり、山口氏も退任というかたちでクラブを去った。
このように、指揮官の「心」はピッチ上のチームだけではなく、クラブ全体に影響を与えている。かつ、その「心」のバランスが崩れると、チーム/クラブの礎も崩れていく。異なる心情の信条を抱いた二人の指揮官の浮き沈みは、スポーツにおける「心技体」はなかなか容易に形成されない事を示しているのではないだろうか
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本作は「KDP作家版 深夜の執筆60分一本勝負」 お題「こころ」の参加作品です
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