2013年11月21日木曜日

【プレイバック・中大ラグビー】 2007年シーズン 小山田組編 前編



11月16日に江戸川陸上競技場で行われた、関東大学ラグビーリーグ戦・中大対流経大戦。
優勝決定戦として大いに盛り上がったが、結果は0-25で中大の完敗。
私自身も仕事の都合で応援に駆けつけられず、非常に悔いが残っている。
とは言え、リーグ戦は次週が最終節。
そして夢の舞台を目指し、大学選手権を戦い抜かなければならない。
変わらない過去ではなく、変える事のできる未来を見据えていこうではないか。

…という流れで「プレイバックで過去を振り返るとは何事だ!?」と思う方も多いだろう。
過去も細々と選手権に出ている大学だが、その記録は一流どこと比べると、圧倒的に少ない。
せめて記憶が残っているうちに…ということで、2回に渡り「選手権に出れた中大ラグビー」について振り返り、「ウィニングカルチャー」を身に付けるためには何が必要だったのか?を改めて考えるための記録を残していきたい。
要するに温故知新。悪く言えばただの思い出話。
振り返るのは2007年度の小山田組、そして2010年度の松下組である。

ちなみに、上の写真は07年11月の流通経済大戦のひとコマ。
この試合に引き分けたことにより、中大は大学選手権の切符を大きく引き寄せたことになる…




穏やかなリーダー、小山田圭


2007年シーズンを振り返る前に、簡単に昔話を。
05年シーズンにチーム改革に失敗し、命からがら1部残留を果たした中大。
しばらく監督不在の中、有田啓介氏(元トヨタ自動車)を中心にチームビルディングを行わざるを得ない状況だった。(何とか春シーズン中に磯村幸二氏が監督に就任。現在は関東協会のマッチコミッショナーとして、磯村氏はよく見かける。自分としては凄く不思議な感じ)
この年は日大の不祥事による不戦勝と、立正大戦の勝利で「入替戦なし」の1部残留。
そして、07年に小山田圭氏がキャプテン就任し、ようやく安定した基盤でラグビー部のチームビルディングができるようになったのだった…。



小生はそんな06年から08年にかけて、学生記者という立場でラグビー部と接している。
もちろん、取材者と被取材者という立場で小山田氏とはよく話をさせて頂いた。
小山田氏の印象は「穏やか」…というより、前年の有田氏が「勝気で強気」という典型的な「ラガーマンっぽい」性格だったため、「こういうラグビー選手もいるのか」と驚いたものである。
時に無言になる事もあったが、こちらの下手な取材にも的確なコメントを下さる良い人だった…

プレーの面ではそんな性格を反映してか、器用で丁寧。
2列目、3列目のプレーもそつなくこなすが、一番驚いたのはプレースキックもこなせるという事。
確かに、前年に越村一隆氏(元ヤマハ発動機)が卒業して厳しい状況だったが…


勝負弱さと愛着


【リーグ戦成績 6位】
●対大東大 7-12
○対法大 36-13
●対関東学院大 14-50
●対東海大 3-50
○対立正大 12-8
●対拓大 19-20
△対流経大 10-10


自信という意味の「Confidence」がスローガンだった小山田組。
しかし、リーグ戦での3ヶ月は、自信を奪おうとするものの、喪失を繰り返す日々だった。

序盤戦の流れは、スコア以上に良かったと感じる。
その要因の一つが「モールへの活路」。
セットプレーは何とも言えない内容だったが、その一方でモールを組ませたら強かった。
BK陣にも現サントリーの長友を筆頭に馬場(元日本IBM)や中田(現キヤノン)といった名プレーヤーが多数いたが、どうも印象に残っているトライシーンはモールを押しまくる姿である。
(この年、リーグ戦では長友は開幕戦の1トライしか挙げていないはず…)

もう1つは関東学院大戦で途中から投入され、輝きを見せた片淵&松下(現ライオン)のハーフ団である。
松下のロングキックに惚れたという話は少し前にもしていたが、頭脳派・片淵の捌きも印象に残っている。
4年生の片淵と1年生の松下。
このコンビがもう少し長く見られれば…とも思うくらい、相性は良かった。



手応えは掴んでいたのだが、とにかく3勝目が遠かった。
日大稲城グラウンドでの拓大戦。
試合終了間際まで6点リードも、茂野(現NTTドコモ)に独走トライを決められてしまい、まさかの逆転負け。
後にも先にも、選手達の表情を見て、怖くなって取材せずに逃げたのはこの試合だけである…
それからの2週間、眠れない日々を過ごしたのは言うまでも無い。

上柚木での流経大戦。勝つか引き分けるかで選手権出場がほぼ決まる(東北学院大との予選が当時はあった)試合。
お互いに前半2本づつトライを決めるも、その後は硬直。
松下、小山田、最後は長友までも引っ張り出して中大はPGを狙うが、ことごとく外れる。
次第に勝ち狙いの流経大の圧力に、気押されるようになってしまった。

この試合はウェリントン協会から審判が来ており、この試合を裁いていたのだが…
まあ、流経大側も中大側も、等しく不利な判定を多数されたという事を記しておきたい。

ゲームはコントロールを失い、ロスタイムも予定よりも大幅にオーバーする中、最後は「ディフェンスの中央」。
相手ペナルティを誘って見事に守り切り、前節の悪夢を払しょくするのであった!


改めて振り返ると、この年のリーグ戦で自分の中に「中大ラグビー部ファン」という要素が芽生えたと感じる。
戦い方も良かったし、手応えもあった。
でも、一番欲しい「自信」を手に入れるまでが辛かったし、その辛さをピッチ内外で皆が共有していた。
それに自分も巻き込まれていったのではないだろうか。

リーグ戦6位相当(この年は関東学院大の事件が…)ではあるが、久々の大学選手権の切符を掴んだ中大。
1回戦の相手は天下の早稲田大学、中竹監督と権丈太郎主将の年だった。

(つづく)

1 件のコメント:

  1. 小山田圭はすごく雰囲気をもったキャプテンでしたね。選手権での早稲田戦で、激しいコンタクトで鼻が折れたのかと思うほどひどい鼻血でしたが、詰め物して熱いプレーを続行していたのが印象的です。

    返信削除